2022年9月5日(月曜) メディアウオッチ100 1624号
「かるちゃーひろば」
(前回の続き)
『国史大辞典』の「国葬」(大久保利謙執筆)には「葬儀は神式で経費は国庫支出である」と、他で得られない情報がある。該当するのは上記の(1)(2)だ。国葬である限り国費でまかなうのは当然でわざわざ断るまでもない。むしろ葬儀が神式(神道)は重要な情報だと思われるが、『国史大辞典』以外ではふれることがない。
明治維新後の高位の人物はことごとく神道の葬儀で戒名がつかない(神として祀られるのだ)。福岡藩主黒田家では第11代黒田長溥(明治20年没)の墓が青山霊園にあり、墓碑(奥都城)の前には燈籠・狛犬・鳥居が立っていて、神社と同じ形式である。この風潮は王政復古や神仏分離、廃仏毀釈の帰結だろう。仏教が力を失い神道がそれに変わったのだ。
だがそれも今は昔。吉田茂氏の国葬は政教分離の原則から宗教色を排除したものとなった。安倍晋三氏の国葬も無宗教形式になると報じられている。
「葬儀は無宗教形式で、かつ、簡素、厳粛に行うこととし」――これは中曽根康弘氏の葬儀についての菅義偉官房長官の発言だ(閣議及び閣僚懇談会議事録、令和2年1月10日)。この言葉はそのまま安倍晋三氏の国葬についても用いられた(松野官房長官の発言、閣議及び閣僚懇談会議事録、7月22日)。安倍内閣の閣議決定の文言が岸田内閣での安倍氏国葬に使い回され、しかも一字一句違わないのがむしろ無気味だ。9時2分~10分、わずか8分間の閣議で、まずは言いっぱなし、聞きっぱなしのようである。担当大臣があらかじめ用意された文書を読み上げるだけで、閣僚からの発言の機会はなく、「決定、了解等となった」とまとめられる。(閣内不一致があってはならないから、異論が出ても、議事録を纏める段階でなかったことにされるのだろうか。)萩生田光一氏などは双方の閣議に加わっているのだから、さぞ感慨深かったことだろう。
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