連載「玄洋社関係史料の紹介」は令和3(2021)年4月1日発行の139号で81回を数える(継続中)。『玄洋』は年3回刊。まず(1)~(81)を掲載する。
『玄洋』111号 平成24(2012)年1月1日
【社団法人玄洋社記念館館報】
玄洋社関係史料の紹介 第53回
宇田川文海『西南拾遺』(23)
(早稲田大学図書館所蔵)
明治十二年九月刊行
小室信介閲
宇田川文海編輯
『西南拾遺』巻之五
小梅、再び妓籍に入る 渡辺某、震志の行衛を語る
斯くて、小梅は神戸より汽車に乗り、あしがちる浪花の町に着きたりしが、五月の初(はじめ)つかたにて、陸(おか)と舟路に一月余も日を経たりき。浪花の町にて伯父の行衛を尋ねしに、伯父はいつしか黄泉(よみ)の人となり、其血筋さへ死絶えて、養子が跡を相続なせるよしなるが、是も火災の為に家を失ひ、生玉辺へ立退きしといへるのみにて、確(しか)とも知得がたければ、小梅は大に望を失ひ、彼方此方と知音(しるべ)を尋ぬる中、はや五月・六月・七月も過て、八月の中旬(なかば)ともなりぬれば、震志が曩(さき)に恵みたりし三十枚(みそひら)あまりの金さへも、残り少なになりたりけり。
斯くては餓死せんより術(すべ)もなし。男の存亡を聞分くる迄は、消ゆるにもろき朝露の命も、何となうをしまれて、いかにせましと心を挫(くだ)きしが、兎ても角ても今死しては浮世に心残りなり。好もしうはあらざれど、再び川竹の流に沈み、馴れし三絃(みすじ)の糸をもて、細くも玉の緒を繋ぎとめんと志しつゝ、些(ちと)ばかり知音なる難波村八坂神社の宮の前なる雑菓子商播辰(はりたつ)の同居にて、小和田(おわだ)熊吉といふ芸娼妓の受判なせる男を頼み、浪花また西京(みやこ)のほとりにて芸者かせぎのなしたきよし、云ひければ、熊吉は最(いと)やすくうべないつ、幸ひ西京より頼まれし口もあればとて、八月の下(しも)つかた、約束とゝのひて、同所二條新地の青楼にて、津村てるてふ、行灯かゝげし家の芸妓となり、名さへ小蝶と改めて、二條町の遊郭に三絃の糸をあやつりて、惜からぬ命をなからへけり。
斯くて月日に関守もなく、八月もはや暮れゆきて、九月も事なうすぎ、十月の末つかたとなりぬれば、西の国の乱平きぬとて、官軍の兵(つわもの)等が続々と帰り来て、都の中(うち)へも入り込みければ、扨は無慚にも西郷殿を始めとして、薩摩の殿原はなごりなう討平らげられ玉ひしか。今迄は夫とたのむ震志ぬしの身も、若(もし)やとおもひなぐさめて居たりしに、今は頼みの綱も切れ果てぬとて、衾(ふすま)かつぎて打臥しぬ。
されど又賊軍の中にも、運つたなく生擒(いけどり)となりたるものは、官(おおやけ)の仁恵(にんえ)もて、首(こうべ)も伐たれず、懲役として助けおかるゝよしを聞ては、せめては生擒の中にてもあらばと、はかなくも思ひ返して、枕をもたげ、憂きが中にも賓客(まろうど)の前にいでゝ、そと掻鳴す琴さへも、手重たげに音(ね)も哀れなり。
むかし白楽天が第一・第二の絃は索々たり。秋の風、松を払ふて疎韻(そいん)落つ。第三・第四の絃は冷々たり。夜の鶴子を思ふて籠中(かごのうち)に鳴く。第五の絃声(せい)は最(いと)掩抑(えんよく)す。瀧水(ろうすい)凍(こおり)咽(むせ)んで流れ得ず、と咏(なが)めしも、中々におろかなり。今様(いまよう)うたひ出(いづ)る声とても、血に啼(な)く思ひのあらはるゝを知らでや。賓客のさゞめきて打興ずる様を見ては、実方(さねかた)朝臣が王昭君を咏めて、あし引の山かくれなるほとゝぎす(ホトトギス)きく人もなき音(ね)をや鳴くらん、といひしも思ひやられて哀れなり。
或は客の席(むしろ)に侍(はんべ)らずして、独(ひとり)化粧(けわい)部屋に籠居る時は、窓おし開きて遠近(おちこち)の景色を咏めつゝ、天台山の高巌を見れば、四十五尺の波白し。長安城の遠樹を望めば、百千万茎の蕭【ナツメの一種】青しと、むかし人が咏めしをおもひいで、見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春のにしきなりける、と人は咏むれど、憂(うき)ある目には、何事も物悲しうこそ見ゆめれ。
過ぐる日、男に別れし事をも思ひ出(いづ)れば、万里東(ひんがし)に来(きた)る、何(いづれ)の再日ぞ。一生西に望む、是長き襟なりといへる詩をもおもひやりて、筑紫の空を打咏めては、涙の乾く間(ひま)ぞなき。
斯く憂きが中にも、強(しい)て賓客の席に侍りしは、賓客等の四方山(よもやま)打語(うちかたら)ふ中に、西の騒きの事にても及べば、其れとなう男の消息(おとづれ)聞くよしもがな、と思へばなり。
されど運あしくや、斯(かか)る事を委(くわ)しう語り出る人もあらざれば、いと本意なう日を送りたりしが、其年もくれ、翌れば明治十一年の春も事なうすぎ、五月の頃ともなりたりし一日(あるひ)、小梅の小蝶は例(いつも)の様に賓客の席に侍(はんべ)りしに、其賓客の一人は去年(こぞ)の春より此頃まで、筑前の国粕屋郡(かすやこおり)にて巡査を勤めたりし、渡辺某といへる人なるが、此度(こたび)辞職なしつ、東京へ帰り途にて、西京の友垣に誘(いざな)はれ、はからずも今日此楼へ登りしなりけり。
* 2021年7月11日 駕与丁(かよいちょう)池にて(福岡県糟屋郡粕屋町)
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