保阪正康著『昭和天皇実録 その表と裏①』を読む ◆かるちゃーひろば

※2015年9月16日掲載分を再掲。

    「メディアウオッチ100」605号(2015年5月8日 金曜日)
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 『昭和天皇実録』は東京書籍から全19冊が刊行される予定で、3月30日に第1巻・第2巻が同時刊行された。税別1890円。私は全巻を予約しているが、あまりに値段が安いので薄い軽装版ぐらいに予想していた。実際には箱入り、それぞれ710㌻、669㌻の重厚な本である。吉川弘文館から昭和43年に刊行が始まった『明治天皇紀』全13冊の場合、手元にある第11巻(858㌻)を例にとると定価6800円なので、『昭和天皇実録』は確かに見た目にはわずかに小ぶりに違いないが、それにしても破格の安値に映ったのだ。

 第2巻で大正9年12月までを収録、昭和天皇は満19歳に達したところだ。同年4月5日には福岡市の「黒田侯爵別邸に行啓され」た(568㌻)。これはつい最近私が原稿の中でふれたところだった。皇太子殿下(当時)は「行啓紀念として、中庭の一部に松樹を御手植遊ばせられ」たが(『筑前』第1号)、この雑誌は依拠資料にあがっていないし、『実録』では記念植樹にふれていない。むろん字数の制限があってのことと思う。このほか、『実録』がどう取り上げるか、私が特に注目している情報に接するのはまだ先の巻だが、「勅使御差遣」はすべて載せるという方針のようなので、よもやカットすることはあるまい。『実録』のウオッチャーとして期待している。

 『昭和天皇実録』の手引きにと、保阪正康『昭和天皇実録-その表と裏① 太平洋戦争の時代-』(2015年3月25日、毎日新聞社)を読んだ。昨年8月公開の「昭和天皇実録」61巻、1万2000㌻を論評したものだ。あとがきに、〈やがて編まれる、『昭和天皇実録』〉の参考に、と書かれている。なぜ「やがて編まれる」なのか、がそもそもわかりにくい。ここで保阪氏は「昭和天皇実録」と『昭和天皇実録』を使い分けているのだ。前者は昨年公開された奉呈本(完成本)、後者は東京書籍から発行の公刊本というわけだが、序章では前者も『昭和天皇実録』とあったので徹底されていない。

 昭和8年に完成した『明治天皇紀』の場合は(天皇向けの)奉呈本をもとに(国民向けの)公刊本が編集されたが、実際に刊行されたのは「公刊本」ではなかった。刊本『明治天皇紀』ではむしろ情報操作が行われなかったのだ。これに対し、『昭和天皇実録』第1巻「例言」で明らかにされているところでは、若干の補訂はあるにしても、刊本(保阪氏の表①に言う公刊本)が原本(同じく奉呈本〈完成本〉)を踏襲することになっている。原稿はすでに完成しているのだから「やがて編まれる」の意味はやはりわからない。

 私は目次から律儀に読む。そこで「強行論の東條」が気になった。該当する箇所を確かめると「強硬論」だった。ついでにその次の行には逐一が「遂一」とあった。また、苦衷のルビ「くり」(171㌻)は「苦裏」と読み間違えたのだろうか。「伏線を打っていた」(36㌻)は「伏線を張る」か「布石を打つ」の間違いかもしれない。毎日新聞社、しっかりせよと言いたくなる。

 奉呈本(写し)は日数を限って公開された。私はそのためだけの上京を断念したが、宮内庁のHPによると、昨年9月9日から11月30日まで、場所は皇居内書陵部庁舎。閲覧する定員と時間は限られていて、平日なら延べ84人がひとり50分間だけだ。写真撮影もコピーもできない。それなのにマスコミ各社はどうして克明に報じることができたのか。そもそも保阪氏はどうして1万2000㌻を読み通すことができたのか。報じる側はそれを明らかにしないが(少なくとも私の目にはふれなかった)、ウォール・ストリート・ジャーナルのHP「Japan Real Time」に〈宮内庁「昭和天皇実録」、配布先は記者クラブに限定〉の見出しのもと、〈宮内庁は(9月)9日、昭和天皇の生涯をまとめた「昭和天皇実録」約1万2000ページの内容の写しを、一部の国内報道機関向けに配布した。〉と書かれていた。

 要するに宮内庁記者クラブ所属の報道機関だけが特権的に1万2000㌻を読むことができたものらしい。新聞、雑誌、テレビでコメントした研究者やジャーナリストは、これら報道機関から提供を受けたのだろうか。私が気になるのは、報道機関に配布された際、記者クラブから持ち出すなとか、後で回収するとか、関係ないものには見せるなとか、複写するなとか、何か条件がついていたのではないかということだが、それは私の邪推にすぎない。少なくとも管理のためのナンバリングはしているだろう。

 保阪氏は(この場合は二重カギカッコではない)「昭和天皇実録」を克明に読み、その依拠資料や依拠からもれた資料をも対照して考察を進める。この点では保阪氏の博学多識が大いに力を発揮し、私は啓発されるところが多かった。たとえば、「実録」の中で、「大正天皇が『義は君臣、情は父子』と仰せられたことを(昭和天皇が)述懐され」たとした箇所を、保阪氏はすぐに「明治天皇」の間違いではないか(「実録のまちがいと思われる」128㌻)、と指摘するのだ。公刊の際に手直しされるか、されないか、注目されるところだ。

 「実録」は編年体で日を追いながら淡々と叙述される。バラバラの事実から大きな流れをどう再構成するか、に保阪氏の手腕が発揮される。

 保阪氏は記述量の変化に執筆者のメッセージ性を見出す。たとえば、

 〈こうした政治の側からの上奏内容について記述が増していくことは、その分だけ天皇の胸中にも一刻も早く「政治」を動かさなければとの思いが高まってきたと推測できる。〉(183㌻)

 このような指摘に感心するとともに、少なくともこの箇所については、記述量に「天皇の思い」の深さを読み取るのは適切か、と当惑もした。おそらく保阪氏には見えていて、私には見えないものがあるのだろうが。

 刊本『昭和天皇実録』の2冊はまだ見出し代わりの頭注を一覧しただけで中身を読み込むには至っていない。おもしろいと思ったのは、凡例に「天皇が皇族・王公族とお会いになる場合には御対面・御対顔等と表記」すると、皇族と王公族を同列に見なす原則が示されていたことだ。保阪氏の本でも昭和20年1月1日「皇族・王公族の代表より拝賀を受けられる」という「実録」の記事を引用している(14㌻)。刊本では、王公族に関する記述は大正八年三月三日に見出される。凡例には、「地名」など「一部の名称については現在不適切とされる表現もあるが、本実録では…資料表記のまま使用したところもある」と断っているが、次の「京城」がそれに該当するかもしれない。

 「京城において李太王の葬儀が国葬をもって行われる。」(第2巻436㌻)

 新城道彦『朝鮮王公族-帝国日本の準皇族-』(中公新書、2015年3月25日)を読んでいなかったら気にも留めなかっただろう。王公族は王族と公族に分かれる。韓国併合後に置かれた身分で、大韓帝国の皇室に属した人々を言う。「天皇が大韓帝国皇室のために詔書を発して創設した身分である」(同書、まえがき)。李太王は前皇帝(高宗太皇帝)のことで創設時の王族4人のひとり。「異例の」国葬となっていた(同書151㌻以下)。『朝鮮王公族』は韓国併合とは何かを考える上でも新たな視角を提供して興味深いが、『昭和天皇実録』を読むのに必要な、基本的な知識を提供するものでもある。戦前の宮内省が李太王(高宗)と李王(純宗)の実録を編纂していたことについても詳しくふれている。

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