皇籍離脱・皇籍復帰と社会的身分 は2月17日掲載の第149回で既発表分の上限に達した。第150回以降も連載は続くが、ストックがたまったところで、適宜、ブログでの連載を再開することにしたい。
しばらくは鷲尾雨工著『黒田如水』の翻刻分―過去にお蔵入りの分―の蔵出しを続けることにする。第14回は2005-09-24 10:46に掲載。
果たして何処いずこへ
かすかに仄笑ほのえむのみで官兵衛は答えなかったが、休夢斎が質問を繰り返すと、
「ほんの偶然に南海の琉球人から、習い覚えました護身の術にすぎませぬ。彼かの地では唐手と申して、すでに久しく行われておるとの事でござるが、おそらく起原は唐土もろこし大陸の江南あたりかと思われまする。ひっきょう力を集約して、最も有効に働かせるまでの事ゆえ、習うには何の造作もござりませぬよ。心得ておけば多少とも便宜でしょうから、やがて我が国人の間にも普及することと存じます」
一向に誇り気もなく、淡白に説明するのだった。
だが休夢斎は、あっさり云われれば云われるほど、いまの今まで少しも知らずにいた官兵衛の半面に、おのずと頭が下がるのを感じた。と、同時に、これならば文雅以外の趣好は絶無といっていい自分とは、人間の質たちが異うから、武勇一点張りの姫路の入道とも、円満な親子仲を継続出来ないわけがないとも思われてきた。
(して見れば小西屋の依頼を、姫路へ斡旋して貰うには、一段と都合が宜よい)
心に頷き、
「いや全く意外であった。おぬしが武技に堪能であろうとはな。が、それは兎も角、先刻さっきの如清殿の件じゃ」
休夢斎は、兄入道への交渉を、官兵衛に頼んだ。ところがなんと、ここにも亦、意外があったというのは、官兵衛が即座に、首かぶりを横に振ったのである。
「それは真っ平ですよ、叔父上」
「え?」
休夢斎は奇異を感じた。
「切支丹の弘め屋などは御免を蒙ります」
「はて、異なことを申すの? 洗礼とやらを受けて、シモンという切支丹名まで持つおぬしが、信教弘通ぐつうの骨折りを厭うのは訝おかしい!」
「叔父上は訝しいとお思いですか?」
「おもいますとも。とんと腑に落ちかねる」
「明敏な頭脳を持たれるお身様には、およその御合点ごがてんぐらいは参りそうなものだが」
「いや、皆目―見当が附き申さん」
「そんな筈はないと思われますがのう」
「ほう、そんなら切支丹への帰依は、なにかの方便とでも?」
休夢斎の眼まなこが光った。
「まず叔父上にだけは、お知らせして置く方が宜よいと考えます。それには目で見て頂くのが一番早道でござろう。如実に見て頂いた上、はっきり御諒解がまいらば、改めてわたくしからお願いの筋もござりますによって、そのお含みで、これから御案内いたす場所へお越し下されい」
官兵衛がそう云った時、
「お、お供が、お供がしたいッ!」
と、突如いきなりわめいたのは、今まで男泣きに泣いていた味介だった。
直情径行というか、天真爛漫というか、微塵の邪気というもののない味介は、まだ脾腹の痛みが去らぬと見えて、牛と紛まごうような体躯を、醜態ぶざまな屁ッぴり腰に屈めながら走り寄り、官兵衛の足許へべったりと坐って、額を土に擦りつけ、
「若殿うッ!」
と、叫んだ。
「はッは、なにを喚く? さっさと姫路へ、なぜ帰らんのだ?」
「ええ、厭なこッた。味介めは、わ、わか殿のおそばから、離れねえ! ど、何処どこへでもお供をして、どんな御奉公でもする気でいますぞッ!」
「いい気なものだ、独りで決めている。だがそれほど俺わしのそばにいたくば、置いてやらぬこともないぞよ」
「ええ、そ、そりゃ本当でごぜえますかッ?」
味介の眼から、橡とちのような大粒の泪が、ぼろぼろこぼれた。堰止めかねた嬉し泪であった。
(この方の為なら、火水の中もなんのそのだッ!)
一本気の覚悟を、鉄石のごとく固めた味介を供につれて、官兵衛が叔父休夢斎と共に、徒然庵を出たのは、それから何程もあとではなかった。だが果たして、いずこへ案内するのか? 導く官兵衛の足は、海岸の方へむかっていた。
* 2022年3月2日 福岡市中央区今川、金龍寺。
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