山名正二著 『日露戦争秘史 満洲義軍』(18)-2  ◆再掲載

※ 過去に本ブログに投稿した分を再掲載。

第18回は2005-09-21 23:05に掲載。

日露戦争秘史
満 洲 義 軍

山名正二 著
昭和17年9月20日
月刊満洲社東京出版部発行


  〔五〕 花田・鶴岡の会見  続き
 鶴岡が隣村の団練長の家で待っていると、夜に入って陳国恩がやって来た。

「陳、お前は約束通り俺のところへ来い」
と言ったが、まだ日露両軍いづれが勝つかは彼等に見透しがつかず、如何に然諾を重んずる彼等団練と雖もすぐに承知しない。

「日本は此処まで露軍を追って来たんだ。日本軍の勝つのは明らかだ。お前は今ロシヤ軍の為に糧秣の世話などをしているが、若しお前が俺の言う通りに従わなければ、やがて日本軍が此処まで進んで来た時にはお前の首をぶち斬るぞ」

 こう脅喝して置いて陳をその場から第一軍司令部へ連れて行くことになった。

 帰りは、曲と、陳と、陳の団練兵二名と一緒であったが、道々は敵の騎兵が今通ったばかりという馬蹄の跡で一ぱいだった。曲や陳はその馬蹄の跡を見て、どれだけの兵数が、何時間程前にどちらの方向へ行ったかをちゃんと判断した。それで露軍の居ない方へ、居ない方へと道を選んで、遂に鳳凰城へ来るまで一騎の敵にも出会わずに済んだ。

 時の第一軍参謀部の陣容を示せば次の如くである。

 参謀長、藤井茂太少将。参謀、松石安治大佐。木下宇三郎中佐(後に中将)。福田雅太郎中佐(後に大将)。萩野末吉中佐(後に中将)。少佐久邇宮邦彦王殿下。吉岡・引田大尉(後に大将)。

 鶴岡は陳を藤井参謀長以下に会わせた。宮殿下が特別任務に関して非常に御関心をお持ち遊ばして居給うたので、殿下の御前へもつれて行って拝跪させた。

 殿下は鶴岡に
「目的遂行の為には身体が大切である。身体を大切にせよ」
と、有難い慰労の御言葉を賜り、また東京の御殿から届いたばかりの西洋御菓子折を御下賜下され、鶴岡は感涙に咽んで御前を退下したのであった。彼は今なお当時を回想して殿下の御仁慈とその時の光栄に感激している。

    *    *    *

 六月五日、第一軍司令部へ少佐の肩章をつけた四十一―二歳、小造りの一人の軍人が鶴岡に会いたいと言って来た。真まことに穏やかな笑みを湛えていたが、その眼は炬火きょかの如く烔々けいけいと輝き、その小柄な体躯には精悍の気が溢れているようであった。

「自分は花田少佐ですが、福島閣下よりの命令を伝えます」
と言って、上衣の内ポケットから一通の封書を取り出して鶴岡に渡した。鶴岡が封を披いて見れば、
 貴官ハ自今花田少佐ノ指揮下ニ属スベシ
とある。そこでこの花田少佐が鶴岡の献策せる特別任務隊の隊長として着任したのであることがわかった。少佐はその特別任務隊を「満洲義軍」と名附けたと語り、此処で満洲義軍総統花田仲之助ちゅうのすけ少佐と、満洲義軍献策者鶴岡永太郎とは、「確っかりやりましょう」と互いに堅く手を握り合った。

 やがて花田少佐は相変わらぬ温顔で、
「あなたは私の部下になったのでありますから、今後言葉を改めます」
と叮重な言葉で言った。鶴岡が「はい」と答えると、花田は忽ち威儀を正して、
「おい君、これからすぐに相談にかかろう」
「はッ」

 この有り様を見ていた第一軍司令部の人達は、二人の言葉の急変に思わずドッと笑ったということだ。

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220514(14) マチルダⅢ.JPG

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