皇籍離脱・皇籍復帰と社会的身分(109) ◆かるちゃーひろば

     「メディアウオッチ100」1488号(2021年9月15日 水曜日)
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「『破戒』後日譚」の深読み
 小学校教員の夏季講習会講師として飯山に赴いた大江磯吉は、おそらく主催団体の世話でK寺に宿泊した。2週間程の滞在が予定されていた。ところがそこで差別事件が起きた。唖峰生「『破戒』後日譚」の言及はほんのわずかである。

 「所が此の人は穢多だといふことが誰からか寺へ伝(わ)つた。さあ大変だといふ訳で早速出て貰つて、畳の表換をする、塩を蒔く、まるで伝染病の消毒宜しくといふ騒ぎであつた。」

 この短い記事にいくつか問題がある。まず大江は旧穢多身分ではなかったことである。大江は穢多(長吏)身分とも非人身分とも違う第三の身分に属していたからだ(第100回でふれた)。藤村が『破戒』の中で新平民を「すべて過去の穢多身分であるかのように」描いたことと共通する事実誤認がある。事実「此の人は穢多だ」と伝わったのか、「新平民だ」と言われたのを、文章の中で唖峰生が穢多と言い換えたのか、真相はわからないが、そのことにはこだわっておきたい。「穢多だ」と言われたとすれば事実ではないし、そうは言われていない可能性も残るということだ。

 誰からか寺へ伝わったというのも、おそらくはもう少し複雑な経緯がある。大江の出自を知っている教師の一人が、訳知り顔に誰かに話す。驚きをもって周囲に波紋が広がる。それが檀家(教師その人という場合もある)の耳にも届き、檀家が住職のところに押し寄せる。おそらくはこういう経過をたどっただろう。檀家が集団で住職を問い詰める場面は、『破戒』の蓮華寺のモデルにされた、真宗寺の出来事として唖峰生が目撃し、「『破戒』後日譚」を書くきっかけとなったのである。東栄蔵『大江磯吉とその時代』は「大江のことを聞いた」K寺の「檀徒のひとりが寺の住職に注進に及んだ」と解釈している。私は「檀徒のひとり」ではなかろうと思う点が東氏と異なる。K寺は集団の圧力に屈したのであろう。

畳の表替えは何を意味するのか
 「早速出て貰つて、畳の表換をする」というのも、法事があるとか何とか別の理由をつけて丁重に出てもらったはずだ。しかし大江にはそういう唐突な態度の変化が何を意味するかは、聞かなくてもわかっただろう。問題は畳の表替えまでしたことだ。東栄蔵『大江磯吉とその時代』はこれを敷衍して次のように書く。

 〈飯山じゅうの畳屋を集めて一晩で「畳の表換を」し〉

 飯山中の畳屋とか、一晩でというのは「『破戒』後日譚」には見えない。東氏は何か他の伝承に接しているのかもしれない。もっとも史料的な根拠がないとしても、一晩で終わらせる必要はあっただろうし、そのためには飯山中の畳屋をかき集める必要もあっただろう。なぜなら、大江を寺から退去させて終わりではなく、すでに檀家と住職の間の関係性に転化していたからだ。

 檀家の納得を得るためには寺院内部の清浄を取り戻す必要があった。少なくとも目に見える形で、そう信じさせる必要があった。そうでないと檀家が寺院の利用を拒絶する理由になり得る。つまり大江の滞在によって、寺の畳が穢れた(穢れがウツった)と見なされたからだ。ここには書かれていないが、まず大江の使った部屋や大江がふれた調度には塩をまいたとして(穢れを清めたのである)、食器類は他の食器と紛れない様にすべて割ったはずである。日本ではマイ茶碗、マイ箸がないので、他に紛れて使い回されること(共用)を神経質に恐れることになった。おそらくこのことが差別(排除)を支える強い要因になる。

 こうした手順が大江に対する差別であって、お役人である大江を面罵するようなことがあったはずはない。大江を穢れた存在として扱ったということが問題の核心なのである。

 「伝染病の消毒宜しく」というのはその〝恐怖〟の形式的な類似を語ったことになる。消毒薬を噴霧するように塩をまいた、と唖峰生は連想した。

 消毒の場合は伝染病の原因菌が実在している。見えないものを科学的に考えるのが「衛生」である。見えないからと言って安心はできない。一方、穢れの考え方は、元々存在しないものを、あたかも実在するかのように誤認することから始まる。穢れにふれるのを恐れることと衛生観念とは一致しない。唖峰生はその大騒動を一歩引いたところから揶揄しているようでもある。

* 2022年1月2日 須恵川にて(福岡県糟屋郡須恵町)

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