皇籍離脱・皇籍復帰と社会的身分(79) ◆かるちゃーひろば

     「メディアウオッチ100」1414号(2021年1月27日 水曜日)
     月水金発行、会員制有料メールマガジン

「不浄の者入るべからず」
 NHK朝ドラの主人公は何と戦っているのか。時代の波に翻弄されながら、その中でもけなげに希望を失わず、時代の限界を切り開いて男に伍する活躍を見せる。真相は深く沈んでいるが、時にその姿を垣間見せることがある。女性の未来を塞ぐのは世間の常識という、空気のような曖昧なものだ。女性自身がその常識と無縁なはずがないから、「天うらら」(1998年)で、主人公の祖母が「女は大工になれない」と孫を説得しようとするのも、実によくできた場面なのだった。

 「あすか」(1999年)では主人公(竹内結子)が和菓子職人になろうとする。あるときラジオを聞いていたら、この番組の裏方として和菓子を作っているのは自分だ、という職人がゲストとして出てきた。その人物が言う。和菓子の職人には女性はいない。こう見えても豆の入った重い袋を運んだり力がいる仕事だからだ。

 それを聞いた私は、それなら採用試験で豆の袋を運べるかどうかテストすべきだろう。そして運べない男性は落とし、運べた女性は採用すべきなのだが……、と考えた覚えがある。それならば一応理屈が通る。女性はすべて腕力がないと決めつけるわけにはいかない。

 だが実はこれも間違いで、豆を運べない、力が弱い女性(男性も)がいたとしても、道具や機械を用いることでカバーできるかもしれない。重い袋を運ぶだけの力がいるというのは、それ自体が障壁(バリア)になる。先の論理では、女性どころか障害者も和菓子職人になれないことになるではないか。

 たとえば、男女雇用機会均等法を説明したパンフレット「男女均等な採用選考ルール」(厚生労働省)では、間接差別の①で、「募集・採用に当たって、労働者の身長、体重または体力を要件とすること。」について、「合理的理由がない場合、違法」としている。豆の大きな袋を運ぶには、台車を用いたり、小分けして運んだり、力自慢が手伝ったり、工夫はいくらでもできるだろう。

 しかし、伝統的な和菓子職人の世界にこれまで女性がいなかったとすれば、それは男女の体力差ではなく、次の板前の場合と同じ事情があったと考えた方がよい。

 「どんど晴れ」(2007年)では、東北の老舗旅館が従業員を引き抜かれ苦境に陥る。予約は入っているのに、人手が足りず料理が間に合わないのだ。予約を断るしかないのか。

 ここでは調理場に女は入れないという昔ながらのしきたりが生きていたが、結局主人公の若女将(比嘉愛未)が板場に足を踏み入れ、男女の別なく団結することで苦境を乗り切る。

 調理場には神棚が置かれていることからも、女は穢れているという考えのもとに、調理場に女は入れないというルールがあったことがわかる。

 そのことをさらにストレートに描いた朝ドラが「走らんか!」(1995年)だった。主人公の男子高校生(三国一夫)が博多祇園山笠の詰め所にいるのを見つけ、山笠のしきたりを知らない転校生(中江有里)が近づこうとする。そこを制止され、この立て札が見えないかと注意を受ける。そこには「不浄の者入るべからず」と書かれていた。女性は山笠の表舞台に一切近づくことを許されていなかったのだ。女性を不浄の者と決めつける考え方が長い間、伝統を支え続けていて、地元の人はそれを疑問とは思わない。それで転校生という設定が生きていた。

 〈その昔は「不浄の者入るべからず」(=女人禁制)の割り札も立てていたのだが、女性を蔑視したものという声が上がり、平成15年よりこの立て札を全廃した。〉(サイト「山笠ナビ」の博多祇園山笠用語辞典の内、「小屋入り」による)

 全廃までにも長い論争があったわけだが、歴史的には大英断と言える出来事だった。立て札の一つは今、歴史資料館に保存されている。

 しかしこの点も短絡的に考えられているきらいがある。「不浄の者」の対象は女性だけではない。見かけの上で女性は判別しやすいというだけであって、女性を排除するのが目的ではなく、「不浄の者」(穢れている者)一般を排除することが本来の立て札の意図なのだ。


* 2021年3月26日 アザレアホールにて(福岡県糟屋郡須恵町) 建物前のモニュメント

210409●210326.jpg

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント