皇籍離脱・皇籍復帰と社会的身分(63) ◆かるちゃーひろば

     「メディアウオッチ100」1379号(2020年10月23日 金曜日)
     月水金発行、会員制有料メールマガジン

「不当な差別」という表現への疑問
 平成12年(2000)成立の「人権教育・啓発推進法」第一条に、「社会的身分、門地、人種、信条又は性別による不当な差別の発生等の人権侵害の現状」という表現がある。私が引っかかるのは、「不当な差別」は「不当でない差別」を前提にした概念なのかどうか、である。行政は単に差別と言わず、言わばルーティンに、差別には常に「不当な」を冠しているだけではあるまいか。

 試しに法務省ホームページで「不当な差別」を検索すると、いろいろヒットする。254件中1件目は、

 「森まさこ法務大臣から,新型コロナウイルス感染症に関連した不当な差別や偏見をなくすため,ビデオメッセージを発信(YouTube法務省チャンネル)しています。」

である。差別は常に不当なものと考えているのだとすれば、差別とは何か、はたしてそれは不当なものなのかどうか、と改めて問い直すことはないだろう。ある種の思考停止に陥っていそうな気がする。

 現行の東京書籍、小学校社会科歴史教科書には、江戸時代に「また、百姓や町人とは別に厳しく差別されてきた身分の人々もいました。」と書いた後、それをコラムで補足している(83頁)。

「 厳しく差別されてきた人々
 百姓や町人とは別に厳しく差別されてきた身分の人々は、仕事や住む場所、身なりを百姓や町人とは区別され、村や町の祭りへの参加をこばまれるなど、厳しい差別のもとにおかれ、幕府や藩も差別を強めました。」

 もちろん児童の発達段階を無視して何もかも教えよ、とは思わない。むしろ6年生の歴史は盛り込みすぎではないか、と思うほどなのだが(―私は歴史の個別の知識よりも、歴史的思考という思考方法こそ、第一に学ばれるべきと思っている)、それにしてもこのコラムは何も語っていないに等しい。

 「厳しく差別されてきた身分の人々は……厳しい差別のもとにおかれ」では同義反復、トートロジーであって、わかりやすく言い換えることすら怠っている。仕事・住む場所・身なりが異なるのはどの身分にも共通し、被差別身分に限ったものではない。住む場所について言えば、身分ごとに集住することは社会の大前提だった。

 現に同書82頁にはこう書いている。

 「江戸をはじめ、全国につくられた城下町では、大名やその家来が住む武家地、寺や神社の地域、町人地など、身分によって住む場所が決められました。」

厳しい差別の「厳しさ」とは
 武士や町人も、要するにどの身分も住む場所が決まっている。その原理が働いて被差別身分の者も「住む場所が区別される」。

 城下町が武家地・町人地に分かれていること、また、寺院が集まったエリア、すなわちしばしば寺町と呼ばれる地域が存在することは、どの城下町でもおおむね該当するだろう。しかし神社が集まった地域などどこにも存在しない。神社は産土(うぶすな)という言葉の通り、氏子ごとに信仰対象を異にするのだから、むしろ分離されているのがふつうだ。これも書きすぎて誤った例である。

 僧・神官などの宗教者は身分としては例外的で(寺社奉行の支配を受ける)、武家地・町人地と並べること自体に無理がある。

 すでに述べたように、武士身分と足軽身分の間に絶対的な差がある。武士身分の中でも騎乗を許された上級士族(お目見え以上)と徒歩で従う下級士族(お目見え以下)の間にも差がある。大名ですら、城持ち大名と無城大名との間に絶対的な差がある。無城の場合は政庁は陣屋と呼ばれる。

 百姓身分の中にも高持ち百姓(田地を所有)と水呑み百姓(無高、すなわち田地を持たない)の差があり、また、百姓身分の中にも隷属し、差別される存在―福岡藩では名子と言う―がある。名子は藩によって把握されないが、村の内部では厳然たる区別があった。

 江戸時代は身分によって社会が成り立っているが、さまざまな身分同士に、さらにその身分の内部にすでに差別がある。帯刀の有無、髪型、服装、服地や染色、言葉づかいや仕草―それらがすべて身分の表象である。社会にあらわれたそれらの差別と、被差別身分への差別(教科書の言う「厳しい差別」)とはどこが違うのだろうか。その違いこそが身分制度廃止後の社会的身分へとつながるのだ。

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