「メディアウオッチ100」606号(2015年5月11日 月曜日)
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半藤一利・保阪正康・御厨貴・磯田道史『「昭和天皇実録」の謎を解く』(文春新書、2015年3月20日)を、私は保阪正康『昭和天皇実録 その表と裏①』(2015年3月25日、毎日新聞社)よりも先に読み始めたのだが、途中で読むのをやめて、『表と裏』を優先し、その後もどってきた。
前回(605号)、宮内庁記者クラブにだけ事前に『実録』の「写し」が配布されたことにふれたが、『謎を解く』の「おわりに」で保阪氏がそのからくりを明らかにしていた。『実録』の内容が公に報道されたのは9月9日だが、記者クラブにはその18日前に配布されていたのだ。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の記事では9月9日当日に配布されたかのようだったがちがっていた。なお名称は「宮内記者会」が正しく、加盟は新聞・通信・テレビの15社(ウィキペディア)。保阪氏は言う。
<八月二十二日、宮内記者会には、その全体を収めた電子記録のチップが渡されていて、記者たちはそれを読みつつ、どのような形で紹介するかを考えていた。/たまたま私は幾つかの社からその解析を頼まれていたので、『実録』の全体図を早めに読む機会が与えられた。>(『謎を解く』298㌻)
『実録』は8月21日に天皇に奉呈され、そのことは22日朝刊で報じられた。保阪氏が『実録』に接するのはそれ以後のことだが、「早めに読む」で片付けたところが引っかかる。それは9月9日よりも早かったというだけではない。
白羽の矢が立って「早めに」読むことができた人たちが、その後の『実録』解説本を書く特権を得た。一部の人が「早めに」読んでいた時、他の人たちはスタートラインにすら立っていなかった。その独占、寡占状態は公刊本『昭和天皇実録』全19冊(索引1冊を含む)の最後の巻が発行される2019年3月まで続く。
実は保阪氏は『表と裏』の「おわりに」で<二〇一四年八月に公開された「昭和天皇実録」>と書いていた(201㌻)。これを承けて、私は前稿で<昨年8月公開の「昭和天皇実録」>と表現したが、そこがちがうことに気付いた。昨年8月は宮内記者会に(秘密裡に)「開示」されただけであり、保阪氏はその余得にあずかった。9月9日から11月30日に限っては、ひとり50分、先着順の「特別閲覧」ながら確かに希望者には“公開”された(限定公開と言うべきか)。つまり8月時点では全く未公開だったのだ。
1万2000㌻を標榜する『実録』の中で、昭和天皇が泣いたのは乃木希典が亡くなったとき、と保阪氏が言い、「調べてみたら」他に落涙されたのは「もう一カ所」と半藤氏が応じた(38㌻)。私は、半藤氏は1㌻ずつめくったのか、アルバイトでも雇ったのか、斜め読みしかないな、と思いながらこの箇所を読んだが(『文藝春秋』の初出では「編集部に調べてもらったら」)、こういう風に「調べる」ことが可能だったのは電子データだったからだろうかと思い至った。もっとも、この電子データが画像なのか、テキストデータなのか(文字化けを避けるには写真かPDF形式のファイルなどだろう)、天皇に奉呈された正本と副本とが印刷物なのか、墨書なのかすら、報道からはわからない。ただし、和綴じであることはわかっているので墨書かと推測する。
『実録』の原本は正本・副本であり、そのほか閲覧された「写し」は1セットが分冊15ファイルから成るが、これは製本されていないという意味だろう。少なくとも9セットはあった(宮内庁HP)。宮内庁は膨大な「写し」を作成して宮内記者会各社に渡すのを避け、便宜的に電子データを提供したということになる。WSJは紙ベースで渡ったと考えたようだが、保阪氏によると「電子記録のチップ」(不正確な言い方で、何らかの記録媒体を指す)だった。宮内庁には記者たちの閲覧性に便宜を計る意図、もしくはエコへの配慮もあったのか。“チップ”だとすればCD・DVDではなさそうだ。
そもそも『謎を解く』冒頭部分は初め『文藝春秋』2014年10月号(特集名<「昭和天皇実録」の衝撃>、9月10日発売)に掲載されたものだ。9月9日の公開初日直後の発売だが、その中で半藤氏は、
<(『実録』刊行は)数年先ですが、文藝春秋はいち早く入手した。よって本日、編集部に集まり、読み、かつ議論をせよとのことで、我々三人が呼ばれたわけです(笑)。さあーと読んだだけで、さて、どのくらい深く読めますかね。>
と切り出した。この部分は『謎を解く』ではカットされている。
私が不思議に思うのは、宮内記者会にだけ電子データが渡されたのに、そしてそれをWSJが悔しがった程なのに、文藝春秋はなぜ入手できたのか、だ。他にルートがないとすれば、宮内記者会の加盟社あるいは記者個人から漏洩したか、もしくは取材協力者(歴史家など)から拡散したに違いあるまい。私はこの場合、漏洩や拡散を問題にするつもりはない。そうではなくて、特定のメディア、評者の間でデータが使い回されていながら、その大前提を語らずに『実録』が論評されることに不誠実さを感じるのだ。そもそも考察の対象となる『実録』は天皇に奉呈された正本とも、宮内庁が保管する副本とも、あるいは公開閲覧に供された「写し」とも異なるわけだから、その拠り所を明らかにし、同一性が宣言されねばならない。
半藤氏は『実録』の完成を「快事に遭う」(9㌻)と言い、磯田氏はその公表を「歴史学者として震えるほどの感動」(14㌻)と言う。保阪氏も百年先、二百年先に「昭和天皇という君主の実像を知る、あるいはその生きた時代を知る」ことのできる「歴史遺産」だと断言する(15・16㌻)。私は、名前も知らない人たちが書いたものをそこまで言い切って大丈夫か、と思うのだが、その異様に舞い上がった気分のいくらかは、日本中でごく限られた範囲の人しか1万2000㌻に目を通すことができなかったという「特権」に由来するのではあるまいか、とも感じる。誰が書いたものであれ、どんな目的であれ、全体をアプリオリに正しいとも間違っているとも言えない。それらは時間をかけて精査され、ふるいにかけられて「史実」として確定するというプロセスを経なければならない。
ここには妙な箇所があった。次の二つの文章を見比べてみよう。こういうところは編集者の怠慢としか思えないのだ。さらには昭和天皇は(戦後も含め一貫して)「君主」だったという文脈で語られると驚かざるを得ない。
・この『実録』は百年後、二百年後のわが子孫が読んで、激動の近代日本における昭和天皇の実像を知ることができる、そういうスケールの大きさをもつものと、わたくしは考えます。(半藤「はじめに」、10㌻)
・この『実録』は…百年先、二百年先の我々の子孫がこれを読んで、近代日本激動期の昭和天皇という君主の実像を知る、あるいはその生きた時代を知る。そういうスケールの大きなものであるのは間違いありませんね。(保阪、15・16㌻)
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