山名正二著 『日露戦争秘史 満洲義軍』(31)-1  ◆再掲載

※ 過去に本ブログに投稿した分を再掲載。

第31回は2005-10-08 21:41に掲載。

日露戦争秘史
満 洲 義 軍

山名正二 著
昭和17年9月20日
月刊満洲社東京出版部発行


  〔三〕 福島熊次郎、楊二虎を投げる
 楊二虎ヤンアルホは今の安奉線一帯にかけて泣く子もだまると恐れられた兇暴無類の馬賊の親分である。鶴岡が連れて来た日に花田少佐が楊に人倫の道を教え、知恩報徳を説き、正義を語りなどしたが、さっぱり言葉が通じない。そこで十日ほど前に着任したばかりの浜田純一が山東土語を巧く話すというので通訳に呼び出された。

 行って見るとテーブルを挟んで花田少佐がしきりに手真似でやっている。上を指さして「天テン」とか、下をさして「地」とか、胸をおさえて「心シン」とか、或いは「知道チードー」とか言っているのだが、楊は花田少佐が何を言っているかわからず、少佐の長髯を指さして、
「立派な髯ですね。いつから生やしましたかネ」
など言っている有り様だ。しかし少佐はそんなことを知らず、相変わらず「天」とか「地」とか「知道チードー(知る)」とか一所懸命になってやっている。

 つまりこの会話を纏めてみると、「いつから髯を生やしたかは、天知る、地知る」ということになる。

 それをともかく浜田が通訳して、大いに大鼻子ターピーヅをやっつけるんだということになった。ところで楊及びその部下を義軍の隊に編成するに、これは馬賊出身であるから従来の各隊と区別し、従来の団練兵出身の左翼隊に対し、馬賊出身の隊を右翼隊と名づけ、楊の隊は右翼第一隊となった。

 楊は腕力人にすぐれて自ら十人力と称し、しかも騎馬と射撃の達人で馬上疾駆しながら飛ぶ鳥を百発百中で射ち落とすと誇っていた。しかも獰猛無類の暴れ者で、一度怒れば虎の如しと恐れられていた。

 或る日義軍の幹部が楊の部下に教練をやり終わってから原っぱで休憩させていた。その休憩中に元気を持て余す若い幹部達が角力を取りはじめた。兵隊達はその周囲をとり巻いて、わいわい喜びながら見物している。

 力自慢の楊二虎が何で黙って見て居ろう。小っぽけな日本人ども、この虎の楊さまが手玉にとって見せてやろうと、その巖のような巨躯を悠々と揺るがせて人垣の真ん中に仁王のように突っ立ちはだかった。誰でも来い、と大手を拡げた時に彼の部下はわっと歓呼の声をあげた。

 これを見て、何を小癪なと立ち向かったのが福島熊次郎である。弁髪を無造作にくるくると額に巻きつけた短躯瘠せぎすの福島は礫つぶての如く楊の巨躯にぶっつかって行った。あまりに見え透いた勝負だと思ったか、楊の部下達はどっと笑い声をたてた。

 福島熊次郎は長崎東洋日の出新聞記者として任侠を謳われた快男児。当時三十五才で血気の時代を過ぎたとは言え、講道館柔道四段の達人である。ただ一揉みに揉みつぶさんとする楊の力を利用して、エイッ! と気合いがかかったかと思うや、電光石火の腰車は見事に決まって、楊の巨躯はもんどり打って大地に叩きつけられた。見物の兵隊一同唖然として声も立てない。だが投げ出された楊は猛然として跳ね起きるや、怒りの形相物凄く再び福島に掴みかかった。

 福島は押された如くに腰を落とした。あっ、やられた! と一同声を呑んだ瞬間、捨て身でかけた福島の巴投げ。またも楊の躯は宙に円弧を描いて飛んでいた。

 この時、「福島、来い」と躍り出たのが長髪長髯の偉丈夫、小野鴻之助である。二人はそこで組みつ解わかれつ柔道の大業を見せて立ち廻った。これは小野の咄嗟の気転からであった。若しそのままにして置いたなら、兇悪な楊が怒りの余り福島にどんなことをも為し兼ねないと思ったから、二人の間を裂くためにやったことなのである。

* 2022年6月4日 (6月6日掲載分に続く)わが家の庭から近くの電柱へと飛び去ったカチガラス(カササギ) 実はつがいだったのだ(右45度斜め下にもう1羽)。

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