山名正二著 『日露戦争秘史 満洲義軍』(15)  ◆再掲載

※ 過去に本ブログに投稿した分を再掲載。

第15回は2005-09-21 16:56に掲載。

日露戦争秘史
満 洲 義 軍

山名正二 著
昭和17年9月20日
月刊満洲社東京出版部発行


  〔二〕 鶴岡満洲へ先発す
 秋ときは来た。

 二月十七日、鶴岡は参謀本部に出頭して大本営附大尉相当官(高等官六等)の辞令を受けた。福島少将より、特別任務隊編成の準備工作のため先発するように命ぜられ、福島少将立会いの下に児玉中将の前で宣誓した。
「鶴岡此度の任務に関しては、親・兄弟・親類・縁者へも決して口外致しません」

 何故こういう宣誓をしたかというと、清国は中立国である。当時の国際法よりすれば、日本人がその中立国の人民を指揮して戦うということは、国際法違反になるからである。

 であるから、鶴岡は父母にさえも真実を語らなかった。
「私の役目は大本営附というのですから、きっと軍司令部で事務を執るのでしょう」

 しかし、自分は東辺道の名も無き山に屍を曝らすのかも知れないのだ。それとも知らずに「ああそうか」と信じている両親の顔を見ると、流石に親子別離の情に胸が熱くなった。

 いよいよ出発の前夜、彼はこれが日本の最後の夜だと、一人颯然と茅場町薬師堂境内の寄席へ義太夫を聴きに行った。その晩の下題は「菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ」である。大丈夫涙無きにあらず。彼は自分の身に引き合わせて、親子恩愛の情に一人涙を流して帰宅したのであった。

 自分のほんとうの任務を父母上にお話し申し上げたならば、きっと喜んで下さるにちがいないが任務が任務だからそれを申し上げることは出来ぬ。しかし自分が死んだ後には「忰はお役に立った。よく死んでくれた」と、定めし喜んで下さるだろう―彼は感慨の去来するままに一夜を明かした。

 二月二十三日、東が白むと共に起き出で、斎戒沐浴して神仏を伏し拝んだ。いよいよ出立の時にも彼は平然として父母に
 「では、行って参ります」
と挨拶し、弟妹達にもそれぞれ別れを告げ、誰の見送りをも辞して家を出た。男児蓋世の覇気に胸を張りつつ一人新橋駅に向う鶴岡永太郎は、かの桜田門外に井伊大老を要撃せる佐野竹之助の詩を高らかに吟じて行くのである。

  決然国を去って天涯に向かう
  生別又た兼ぬ死別の時
  弟妹は知らず、阿兄の志
  慇懃袖を索いて帰期を問う

* わが家のアイテム(9)  カーチス製米空軍機 「WARHAWK P-40N」 1/72 アメリカ モノグラム社(MONOGRAM)  開かずの間に封印されていたプラモデルの空箱。戦車や高射砲などの組み立て済みのプラモデルがいくつか入っていた。下にあるのはそのひとつ。

220509 (9)WARHAWK P-40N.jpg

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