第14回は2005-09-21 16:45に掲載。
日露戦争秘史
満 洲 義 軍
山名正二 著
昭和17年9月20日
月刊満洲社東京出版部発行
第五章 日露遂に開戦す
〔一〕 国交断絶
北京より東京へ帰った鶴岡は、まず根津一に満洲最近の情勢を説明し、且つ一朝有事の日には東辺道に遊撃隊を編成する準備のあることを語った。つづいて大原武慶に語りその意見は根津・小山・大原等より福島少将に伝えられ、福島の紹介を以て、参謀本部に於いて大山参謀長以下当時の陸軍首脳部に最近の満洲情勢に関して講演することになった。
その講演は翌明治三十七年一月上旬になされ、その折りに献策した東辺道遊撃隊即ち遼東特別任務隊編成の案が、即座に採用されたことは第一章第二節で述べた通りである。
その後、鶴岡は近衛師団及び第一師団司令部で将校団に講演したり、近衛公爵・高島鞆之助将軍・根津・小山・大原・池辺・山座・木内等に会ったり、帝大の山川総長や七博士と会談したり朝日新聞に満洲太郎の筆名で寄稿したりしながら、満洲へ出発する準備をしていた。今や彼は畢生の才魂を傾けて起とうとするのだ。
* * *
一月十二日の御前会議によって廟議一決し、撤兵に関する最後通牒を露国に送ったが、彼は何等の誠意を示さないので、二月五日遂に国交断絶を通告した。通告するや否やわが海軍は疾風迅雷の行動を開始し、早くも八日には瓜生艦隊が仁川港で露艦ワリヤーグ・コレーツの二隻を撃ち沈めて、ここに開戦の火蓋は切られた。十日には宣戦の大詔が煥発され、これを拝した国民は益々愛国の至情を発露して、暴露膺懲の叫びをあげた。
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