2005年1月17日14:33
御家騒動―鳶魚江戸文庫〈7〉
中央公論社、中公文庫、鳶魚えんぎょ江戸文庫7、1997年3月18日発行。
底本は昭和8年刊で、口述筆記。
「武士道から見た黒田騒動」をブログ連載中なので、その参考に買い込んだ。読んでまず驚かされた。「解死人げしにん」という言葉が出てきたからである。
私はイシタキ人権学研究所の第1冊目の本として『解死人の風景』を刊行している。解死人は中世から近世初期に身代わりという意味で使われていた。時代劇の下手人に当たるが、こちらは犯人という意味だから、すでに身代わりの意味は失われている。解死人という言葉は下手人ほどにはポピュラーでない。
(209頁)
「光圀の片意地な、ひた向きな人であったことは、寛文度に、水戸の士さむらいが御本丸の御小人おこびとと喧嘩をして、相手を斬り殺したことがある、その時に光圀は、あれは御家人だけれども、身分の軽い者だから、一向苦しからぬことだ、と言われた。御自分はそうしてすましておられるが、幕府の方はそれでは済まないから、老中から水戸家へ対して、解死人げしにんを求めた。そうして、御家来は切腹させられてしかるべきものと思う、と言ったけれども、光圀は一遍きめたことだから、なかなか承知しない。この悶着中にお礼日が来まして、光圀は登城しようとする。」
(211頁)
「それから、すぐ後から必ず阿部が来るに相違ないが、来たら大いに取っちめてやろう、というわけで待っておられると、果して豊後守が出てきた。待ち設けたことですから、早速逢われたけれども、豊後守は、御家来を解死人にお出しなさい、なんていうことは少しも言い出さない。」
解死人は2か所に出てくる。この場合の解死人はむろん単に身代わりという意味ではない。もっと本質的な意味で使われている。直接に犯人と言ってもよい場面だが、それが解死人と表現されたことにこそ意味がある。
幕府の御家人が水戸藩士に殺害された。理由の如何に関わらず、水戸藩士が切腹することで、双方マイナス・イチで釣り合いが取れる。その原理が前提になって解死人の習俗があった。
水戸藩士の側がマイナス・イチであればいいのだから、必ずしも殺害犯自身が死ななくてもよい。そこまで許容されていれば、解死人は身代わりの意となる。身代わりではダメだという社会では、解死人は直ちに下手人に一致する。すなわち犯人自身の命が奪われるのである。
解死人の習俗は、失われた命を別のもう一つの命を奪うことで埋め合わせることができるという考え方に支えられている。この点で死刑とも違う。すなわち、「命」そのもので埋め合わせるのだから、武士の場合は切腹となる。辱めを与えては奪い過ぎなのである。
光圀の前に出た阿部豊後守は家光の遺書を読ませた。「竹千代様(家綱)御幼年の事故、年寄共へ申さるゝは、家中他家共に、大身小身によらず、喧嘩両成敗にすべし」。ここに至って、理に服した光圀は家来に切腹を命じた。(212頁)
当時、解死人は喧嘩両成敗の原則にも通じていると理解されていたことがよくわかる。
「解死人を求めた。そうして、御家来は切腹させられてしかるべきものと思う」とか、「解死人にお出しなさい」というのは、全くこの理にかなっているのである。解死人という言葉が本来の意味で正確に用いられていることに驚かされた。
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